図説:東北の稲作と冷害

収量の累年統計にみるわが国の稲作と東北の稲作


農林水産省統計情報部発行「平成10年産作物統計」にある累年統計はわが国の稲作の歴史を見事に映し出す。その上に、東北稲作の歴史の一端を投射してみた。

収量の累年統計にみるわが国の稲作と東北の稲作

全国水稲平均収量の累年統計

 図1は全国水稲平均収量の推移を、明治16年(1883年)から平成10年(1998年)まで示したものである。これには、わが国の稲作の歴史が投影されているように思う。川田信一郎(1976年)は、1970年までの収量の推移から、収量が増加した時期は少なくとも2回あったとみるべきだろうという。すなわち、その一時期は明治30(1897)年前後から大正5(1916)年前後、次の一時期は昭和19(1944)年前後から昭和42(1967)年前後までである。なお、大正7(1918)年前後から昭和16(1941)年前後までは、収量は300kg前後の線で「横ばい」状態を呈していた。生産調整の始まった1970年後の収量推移をみると、昭和55、56,57(1980-2)年と平成5(1993)年の大きな冷害があったものの、大まかには増収傾向がある。
 ちなみに、収量が300kgを初めて超えた年は大正8(1919)年、400kgを初めて超えた年は昭和35(1960)年、そして500kgを初めて超えた年は昭和59(1984)年であった。このように、収量はこの116年間に、約2.5倍になっている。

 この収量の推移をみながら、東北の稲作について限られた範囲で、次のように言及してみたい。
 東北地域は、現在ではわが国でもっとも収量が高く、良食味米を生産する穀倉地帯として重要な地位を占めるに至っている。しかし、古くを振り返ると度重なる冷害に見舞われ、悲惨な歴史が刻まれてきた。冷害を克服することは、東北稲作の最大の課題であったと言える。数年前に東北農業試験場稲作研究100年事業会が編纂した『東北の稲研究』、この書物で歴史をさかのぼってみる。
江戸時代の東北稲作は度重なる冷害・凶作によって、濃く彩られている。その悲惨さは言葉では言い尽くせないものがある。そのころから、すでに水稲の品種、早晩性、用途は識別されていたようである。当時の指導的な農業者は"老農"と言われる方々であった。自然や稲の観察力は鋭く、実験的な精神も旺盛であったことが、当時の農書に克明に記載されている。
 時代は変わり明治、大正に入ると、冷害による凶作にまつわる悲惨な出来事が引き続き繰り返されていたが、行政機関の支援もあり、農業者自らによる生産技術の向上を目指した多くの活動が展開されてきた。老農が農事巡回教師となり、農産物品評会、共進会、種子交換会などを開催したりしていた。秋田県の種苗交換会は、明治11(1878)年に第1回が開催され、伝統ある農業祭として今日まで続いている。また、庄内の民間育種も強調すべき活動であった。阿部亀治が田んぼの水口にある稲から「亀の尾」を選抜したのは、明治26(1893)年のことであった。「亀の尾」は耐冷性に強く品質も良かったので東北を代表する品種になった。当時、「神力」、「愛国」と共に三大品種と呼ばれていた。
また一つの画期的な出来事があった。それは「陸羽132号」の育成であった。農事試験場の陸羽支場(現在の秋田県大曲市にある東北農業研究センター水田利用部)において、大正3(1914)年に「亀の尾4号」と「陸羽20号」の交配組合せから大正10(1921)年に「陸羽132号」が誕生した。この品種は多肥栽培にも耐えるので「亀の尾」より多収であった。耐病性、耐冷性にも優れていたということで急速に「亀の尾」の栽培地帯に広がった。「陸羽132号」は、いわゆる民間育種家が育成した品種「亀の尾」の後をうけて東北における稲作の安定性の向上に結びつき、東北の米の市場評価を高めることに大きく貢献したと言われている。これは、研究機関が育成する新品種の到来を告げるものであった。
 そして、時代は昭和に移り、宮沢賢治の活動、すなわち農学を学び農民指導に奔走した賢治の農業への思い、熱い思いはあまりにも有名である。その詞、「雨ニモ負ケズ」の一節、「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」、これは冷害の常襲地を象徴する表現といえる。昭和(1931)6年、7(1932)年、9(1934)年、10(1935)年と続いた冷害は、東北地域はもちろん、全国的に深刻な社会的影響を及ぼした。この冷害を契機に、近代的な冷害研究がわが国で一斉に始まった。これらの成果は着実に現れてきた。すなわち、明治、大正時代には東北地域の収量はきわめて低かったが、昭和25(1950)年頃に、山形県の収量が全国第3位に躍進し、岩手県や宮城県の収量も全国平均に近づいた。そして平成2(1990)年になると、秋田、山形、青森の3県が全国の1から3位、トップ3を占めるにいたり、岩手、福島、宮城もベスト10入りを果たした。
現在、東北地域の稲作は作付面積で全国の約25%、玄米の生産量で約28%という一大穀倉地帯になっている。上の歴史を振り返れば、米生産における東北の地位はごく最近に達成されたものといえる。この躍進は、元青森県農業試験場長であり、数々の耐冷性品種を育成した田中稔さんの言葉を借りると、「生産者、行政普及関係者、研究者、民間など多方面の農業関係者の稲作改良にかけた情熱と努力、そして関係者の相互交流の結晶であると言える。これら関係者は東北の気象条件そのものを変えたのではない。変えたのは稲作技術なのである。」

最後に、同様に作付面積と収穫量の累年統計を図2と3に参考までに示す。米の増産時代の移り変わり、最近の米の消費後退に伴う生産調整の実態が見事に映し出されている。

全国水稲作付面積の累年統計
全国水稲収穫量の累年統計

<参考資料>
・農林水産省経済局統計情報部(1999):平成10年産作物統計(普通作物・飼料作物・工芸農作物)、農林統計協会。
・川田信一郎(1976):日本作物栽培論、養賢堂。
・東北農業試験場稲作研究100年記念事業会(1996):東北の稲研究、博光出版。

 
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