図説:東北の稲作と冷害

保温折衷苗代の発明


遅延型冷害の克服に大きく貢献した保温折衷苗代は、長野県軽井沢の精農家と研究者の協力で開発された。その開発の経緯を紹介する。

保温折衷苗代の発明

 保温折衷苗代の発明者である荻原豊次氏は、長野県軽井沢の古宿で生まれた。そのあたりは、標高千メートルに近い高冷地である。同氏は若いときから稲作に従事し、たまたま、昭和6年、冷温の襲来でひどい被害を受けた。しかし、近くに被害程度の軽い稲があるのに気づき、その農家に栽培の仕方を教わった。結論は、2日でも3日でも早く田植えをすることが大切だということである。早く田植えをするためには、早く種を播かなければならない。春の遅い高冷地では、早く播くと、腐敗病にかかったり、ころび苗になったりして、害をしばしば受ける。そういう問題が頭にこびりつき、その具体的な方法はすぐには浮かばなかった。
 昭和9年の春、たまたま野菜の苗を作っている温床(一辺が約三尺、他の辺が二から三間で、麦藁とか稲藁で囲い、その中に堆肥のようなじょう熱材料を入れ、その上に床土を入れる。夜や寒冷の日には、その上に油紙を貼った障子を乗せて保温する。)の管理をしているうちに、藁囲いに付いていた籾が落ちて発芽した5,6本の稲の苗があった。試しにその苗を本田に植えてみたのである。その年には、冷温が襲ってきた。他の稲は冷温やいもち病の被害を受けた。しかし、野菜の温苗床からとって植えた稲だけは、平年作のできであった。過去3年間、早く種を播くには、どういう方法を採ったらよいかと頭の中から離れなかった問題が解決したといってよい。しかし、今日、われわれの知る「油紙保温折衷苗代」がその時すぐできたのではない。むしろ、苦心と苦労はその後にあった。油紙障子で保温すればよいことはわかっても、どう稲の苗代に使ってよいかという問題に直面した。その時、援軍が出現した。それは県の試験場で研究に従事していた岡村勝政氏であった。
 ここに、生産者と研究者の連携が採られ、研究が続けられた。生産者は生産者としての頭と目を、研究者は研究者としての頭と目をもっている。両者の努力は相補いつつ、ついに昭和17年、油紙保温折衷苗代の完成をみるに至った。昭和6年から数えれば、11年目の年のことであった。さらに昭和22年以降は近藤頼巳博士の研究者としての応援もあった。
 油紙保温折衷苗代は、油紙で苗代を覆うものである。そうすると平均して2〜3度苗代の温度が上がる。場所によっては10日〜15日も早く播種できる。戦後になると、油紙の代わりにビニールやポリエチレンが用いられ始めた。ビニールだと、平均して5度は苗代内部の温度を高めることができる。その結果、今までより1か月も早く播種、田植えができるようになった。この保温折衷苗代は、早期栽培を可能とする基幹技術なったのである。
保温折衷苗代の普及
 早期栽培は冷温(早冷)に効果を上げたほかにも、意外なところにもその効果を発揮した。作期の前進により、干害や風水害、鉄欠乏に由来する老朽化水田、強湿田にみられる秋落ち等の回避もに効果を示し、急速に普及し始めた。
 気象災害の常襲水田や湿田を広くもつことでは、日本でも有名な千葉県の水田の約50%に、早期栽培が普及して、平均単収315kgが375kgにのし上げられたのは昭和30年のことである。同県では昭和38年には、水田面積の80%が保温折衷苗代によって育成された苗が植え付けられるに至った。

○ 参考資料:川田信一郎(1965) 『冷害−その底に潜むもの』、家の光協会。

 
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